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禅とギターとミクさんと

どのように自分の欲をコントロールするべきか

ここ数年、平日は勉強なり仕事をして休日も出かけているという生活を続けていたのだけれどもやはりどこかのタイミングでがたっと何かが上手くいかなくなるタイミングがあるらしい。

今回の場合は実態に対してギリギリリカバリーする方法があったことと、メンタルを一定に保てる余裕があったのでなんとかなりそうですが、うっかり自分の首がもう回らない状態になってしまったらというとやはり怖いなと思いました。

お金を失うという感覚をリアルに持っていないといずれ行くところまで言ってしまうのではないかと思った。

楽しいことはいいことだと思う。でも反面、人に責任があるわけではないと思うが自分の首を真綿で締め続けることでもあると思う。と思うのは信用というものさえあればお金が簡単に手に入るから

今この瞬間が大切ではあるけれど、人付き合いのためにお金を湯水の如く使ってしまうのはブレーキのない車にのって高速道路を走っているようなものだなと僕は思う。

というよりも自分がそういう性分なのだなと常々思うから。人の気持ちが大切という建前でどんどんとお金を使っていくことは楽しいが、それと同じくらいの苦痛を味わうことになるというのにどうして同じことをしてしまうのか未だに自戒しながらも走り続けていくのだろうと思う。

もし、これで行くところまでいってしまったらどうなってしまうのだろう?

今は想像したくないが、そういうこともあるのだと肝に命じて置かなければまた同じことをやりそうだ。

退屈を対価として安心を買うべきなのか?

これも困ったことに時間は有限でしかもお金よりもグッと価値のあるものだということをよく知っている。今出来ることを我慢しつづけてそれで安心は出来るのだろうがいづれ退屈を打破するためにドカンとお金をつかいそうでもある。

要はバランスが大事なのだけれどもどうやって自分に言い聞かせていいかよくわからない。今年はもっと手取りが減るというのに実感もないのは流石にヤバイんじゃないかなとも思ってる。

重要なのは落としどころなのだが、この厄介な金銭の感覚をどうやって冷静に説明出来るだろうか。普段通りに考えたら多分理解されない徒労感と怒りで自分を燃やし尽くしてしまいそうでなんだかやるせない。

今回まだ良いと思うのは気持ちには余裕があり、選択肢が残されているという点。もし現時点で怒りの炎が消えなくてやけどしそうなのであれば理論的に考えて時間を置いてから話そうと思う。

お互いの金銭感覚を共有することは価値観を共有すること

たぶん、痛みに敏感だと思う人はお金は使わない。鈍感な人は湯水のごとく使う。客商売をやっているとその辺が何となく分かる。

問題はどうやって一方通行でないコミュニケーションを実現するかというところだ。敏感な人は共感をし易いが、どうしても鈍感な人が敏感な人を理解するにはとても時間がかかる(少しではない1年とかそういう意味で長い時間がかかる)

それでもって時間がかかることを根気強くやっていくには仕事と並行して実現するのによほどの労力と心理的ダメージを考えてやらないといけないということも知っている。

うーんどうしたものだろう。とりあえず同じタイプの人にまずは話しかけてそれからまた考えることにしようかな

ただの自分の愚痴を書いただけでした。