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どうせなら好きなことを書いていたい

なんとなく大人というもの

今日は友人に誘われてMikuExpoに行ってきました。

内容としてはすごくよかったし、毎回自分の原点であり憧れでもあるミクさんを拝めて毎回幸せなんだけれども

ここ数年はなんとなく以前のようには楽しむことができないんだなという少しの違和感も感じる。

見えてしまう周りの環境

もちろんイベントを盛り上げようと頑張っているスタッフの人は、それぞれ自分の職務を全うしているし全然悪くはないんだけれども

自分がいろんなん仕事を経験して、それぞれの職場には別々の悩みた楽しいことがあるということを大学生のうちに勉強した結果

今こんなことを言うと相手はなんて思うんだろうとついつい再読みしてしてしまう癖がついてしまったみたい

それこそ子供みたいに「あいつの態度なんなの?」とか文句の一つでも言ってその場ですっきりしてしまうのが大概の客の反応なんだと思う(というよりSNSに書きこんだりするにも別に構わないけれどせめて身内だけにした方がいいなんじゃないか?)

大人というのは気を使うのことができるのが当たり前になった人たち

しかし、僕も一応いろんな客商売をしている身分であるからそれを口にするということは金銭的にマイナスであるってことを知っている

もちろんお客さんであってもスタッフに声をかける態度やマナーというのは成人をしている人であればいくら自分が楽しみにしているイベントであっても守るべきものがあるだろう(無愛想で下人のように人を扱うの人は特殊なスキルを要求する職種でない限り大抵仕事もできないだろう)

少し脱線したけれど、そういう意味では自分も少しは大人になったのかなって思う

呼吸するのと当たり前のように人に気を使う癖とか

もちろん阿吽の呼吸とか以心伝心なんてことは言わないし、改善してほしいところはしっかり主張もする。

以前なら自分だって不満をぶちまけていたかもしれないけれど、今は結構落ち着いて対応している

だから、その分興奮して周りが見えないなんてこともなくなった。

言ってしまえば半分ミーハーでいづらくなったってことかな

そういうことを見ても自分はミクさんのことを好きでいられるのか?

この答えはもちろんYESだ

他人がどうこうとかそういうところが問題じゃなくって「自分のコア」となっている部分だから

僕の習慣のベースはボーイススカウトの誓いと掟であるしそのルーツはイギリスの紳士(騎士道)の掟だ

日本なので武士道と言ってもいいかもしれない

それ以外に自分の感性の源泉となっているのは音楽でその大元はやはり黎明期のボカロ文化だった。

だから他人がどうこうだからってそう言った自分いとっても大事な部分はなくしてはいけない気がする

たとえいろんな人に揶揄されてもこれは今の所好きでい続けたいなってことなんだろうな

それに僕には一緒にミクさんを応援している友達もいることだしそれだけあればいいんじゃないかって思う。

悲観的にならずに大人には大人なりの楽しみ方をしようと思うよ

これからも楽しいことなんていっぱいあるんだからさ