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どうせなら好きなことを書いていたい

何かを得るということは何かを捨てるということ

仕事も大きい部分がひと段落終わってやっと家に帰ってきたのでふと思ったことを記録しておこうと思います。

大学に入って早四年、僕はあまり真面目な方ではなかったのでもう一年学生生活を延長するけれど、最近は体調も良くメンタル的にも悪くない。

案外このままの調子でいくのが一番妥当…いい線いっているのかもしれない。

いいたいことはただ一つ、何か叶えたいと思うことを実現させるには、たくさんの何かを捨てる必要があるということ

後の文章でそう思った経緯をうだうだと書き連ねていきます。

最近調子がいいと思った理由

おじさんたちの質問攻めにも愛想笑いで切り抜けられるし、何か嫌だなと思うこともそんなに深刻に受け止めることもなく、一度寝たら大抵のことは忘れられるようになったし。もちろん記憶を抹消するという意味ではなく気持ちに整理がつくのに時間をあまり要しなくなった、ということで気持ちの振れ幅もあまり大きくならなくなった。

そう考えるとここ数年で一番絶好調なのかもしれないね。まあ今までは修行なのではないかと思うほどに過酷であったというのが正しいかもしれないけれど。

人間渦中にいるときには、その本質を捉えがたい部分があって一体自分は何でこんなにも焦っているのか?欲しいと思うような結果が出ないのか?自分には努力や才能がないんだろうかなどなど、一度思い返したらキリのないくらいにネガティブな感情が吹き出して、それとは反対にとてもワクワクするするような可能性がある、苦味の効いたノスタルジーという物語の主人公のようだと思ったり、忙しいのは自分が必要とされているからだと奮起してみたりと今考えてみればまるでジェットコースターのような人生といいますか、いや夢見る少年を延長したかったのに途中で話の腰を折られて拗ねたりアメを与えられて喜んでいた子供に過ぎなかったのだなと少し反省している。

何が言いたかったのかというと、落ち着いて振り返ってみると、実は思っていたよりも大したことはできていないし、ましてやそんなことで叶えられるほど細やかないめでもなかったということです。夢を見るとと現実で叶えるというものはまるで別次元であった、むしろ真逆であったということに気づいてしまったというのが適当かもということ。

それでその続きとしては、気持ちに振れ幅の少ないせいか冷静に論理的に考えるものが好きになった。具体的には数学的なシンプルさと順序立てて話を進める論理的な学問が好きになったというところ。プログラミングもそれなりに理解できるようになり、逆引きで原理的にどんな数式を応用してるのかが純粋に知りたいと思ったのもある。

昔は感情的に合わないと思っていたことでも、必要と感じるきっかけがあれば好きになることができるというとは、僕が大学にいって一番の発見であったと思う。もっと言ってしまえばこの一つ発見するのに何百というお金を投資してきたと考えれば人生的にお釣りが来るんじゃないかと思うくらいに。

そのことも含めて四年で何が変わったかと言えば、感情をコントロールすることに成功したことと、物事の程度を理解することであると思う。

そうした結果を自分で客観的に確認できるようになって、逆に捨ててきたものや価値観のいうのもあるのだなと再認識もした。

もっともショックに感じたのは人間関係だったし、物への執着が減ったというのも捨てた要素の一つだと思う。

人間関係に関しては、今まで家族や周りの大人たちに守られる側から今度は守る側にポジションチェンジをした分、案外人間ドライに生きても大して支障はないのだなと知ったことが一番大きかったと思う。結構性善説を信じていたから高校生的な人間関係が続けられるのかなと大学でも思っていたけれど、実際は全くの反対の人間のようにドライに生きることが意外と居心地が良くなってしまったというところ。正確には人間関係が複雑でとても辟易したり無理に元気なふりをするのは本来時じゃないというのが前面に出てしまって、残りは自己主張が激しくなったから。これは後悔することも多々あるけれど悪くはないと思った。

物への執着に関しては、大学が仏教の大学であるが故かもしれないが、物があふれて煩雑な部屋にイライラしてしまい実用性と自分の人生にとってなくしたら一生後悔するであろう思い出がある品以外は無駄と一蹴して全て捨ててしまった。これからも物が多くなるたびに勝手にやってしまうのだろうけれど、これも昔の整理整頓が苦手な自分んから見たら仰天することかも。

物質的にもメンタル的にも様々なものを取り入れてはまた捨てるの繰り返しを行っていく中で、結局のところ落ち着くところに落ち着いたというところかな。

うだうだと長くなってしまったけれど、意図せずとも何かを選択することは結果的に今までの何かを同じ分だけ捨てているということだということを頭の中に刷り込んでおこうと思う。

これからもそうやって自分で選択する人生を謳歌したものです。みんなと同じというのは確かに居心地がいいとは思うけれど、それは何も選択をしないという人生であるということは覚えておきたい。

そういう人生はたぶん僕はきっと後悔するし、後悔することも少ない方がいいかな。