カロリーメイトのCMを見たときに気なっていた曲だったので、フルサイズのPVとAppleMusicでアルバムが出ていたのですぐに確認した
(今日の感想は少しかたい感じにしよう、そうしよう)
以前からチェックしていた曲だったのでフルバージョンを見つけてDLした
曲自体はモラトリアムな20代のときに書いた曲をアレンジしたらしい
なぜナイロンの糸という題名だったのか?というと曲を制作していた当時、モラトリアム仲間と一緒に釣りに行った際にナイロンの糸を使って釣りをしていたからだという
アルバムでは郷愁がテーマらしいのでその感覚を思い出そうとしたということらしい
なぜ、この曲が自分として引っかかったのかを考えてみたのだけれど
たぶん今モラトリアムをしていない別の生活をしているからだと思う
そして、心の何処かにはもう少しモラトリアムでいたいと思っている節があるからなのかも
今自分が生活しているスタイルと学生時代の生活のスタイルはだいぶ変わった
最初は学生が終わって勉強する時間が仕事をする時間に変わるだけに思えたが、多分そうじゃない
同じ時間であってもなんのために時間を使っているのかという意味は違ってくる。
生活している時間の大きな割合が自分のための時間じゃない時間に使われている
自分のためだけに使っている時間が相対的に減っているのだ
意味もないことに熱中したり、自分のできなさ加減にがっかりしたり
まだ手にしたことのないものを想像し期待を膨らませたり、初めての出来事に感動したりでりきるということは自分のために時間を使っていたということなのだ
その時間は自分だけのもので、今でも大切だと感じている
そういった経験が良かったと思えるのは、それをお金に換算して手に入れることはできないが喉から手が出るほどほしい大人はたくさんいるのを目にしたからだ
その証拠に青春モノの映画や小説は尽きることがなく、自分の青春時代楽しんだものに対して大量の金銭を投じる人大人をたくさん見てきた
(アイドルやオタク趣味にすべてを捧げるというのも一種の青春だと思う)
では、人のために使っている今の時間はどうなのだろう
それはそれで面白いと感じることも多いし、若干の退屈を感じることもある。
結局のところどちらも一長一短あるのだ
余談だが、学生諸君は社会に出て仕事をすることを奴隷制度の仲間入りのように見ている人もいるかも知れないが、どうか考え直してほしい
勤勉な君たちよりかは社会に出て仕事をするというのは案外ぬるい生活だ、仕事の成果以外で咎められることも怒られることもない
それに大人という生き物は、常に100%全力では死んでしまうそういう生き物なのだ
それに目的のある仕事に打ち込んでそれ以外の時間は自由に使えるというのは面白い
ぜひそういったことを経験して、自分に何が必要なのかを見つけてほしい
脱線したが、隣の芝生はいつも青い
今は別の時間を生きているから万華鏡の中にある懐かしい過去がきれいに見える
できることは、増えた。大事なのはその後どうなりたいか
そういった未来のことを考えたいときに、過去の自分から今の自分を見てみる
目的としていたことは今できているのだろうか?その先に何があると思っていたのだろうか?
過去の自分では見ることができなかったけれど、今の自分の経験からはわかることがきっとあると思う
頭の中で、過去の自分とディスカッションしてみるというのも悪くはない
社会人だからモラトリアムになってはいけないという法律があるわけではないのだし
この社会で生きているのに必要なルールさえ守っていればいい
あとは少し自分勝手なことを思ったって誰にも怒られやしないさ