本日の読書メモ📝
今回は人におすすめしたけど、自分ではあんまり読んでいなかった書籍
主に10代から20代で人間関係に悩んでいる人はどうでしょうか?
人と人との繋がりについて再考してみようという本 日本でありがちなみんな一緒的な価値観について疑問を投げかける一冊
本書の主張
自分のことを全部受け入れてくれる人はいない だから人との距離感についてもう一度考えてみよう
近代日本まで普通とされてきたムラ社会的価値観
主には以下3つ
- 共同体的な価値観
- 同質的な価値観
- 排他的な価値観
要するに自分たちが体験してきた学校的🏫な価値観がこれに該当する。
特に地方で生活しているとこの価値観ががいまだに強いだろうし、都会であっても特定の人たちだけがいるスポットなんかはそうだと思う
具体的にはどんなものなのか?
本書では先程あげた3つの価値観を具体的に以下の幻想として具体化している
- 共同性の幻想
- 教育の幻想
- 友達の幻想
一言でまとめれば昔信じていた価値観が今でも同じであろうかというとそうではないということだ
共同性の幻想
従来インターネットがなかった時代に、今のような柔軟な価値観が許容される空間というのは都会だけであった。
ムラ社会とは、いわゆる特定の集団に属していることによってすごくお金を稼いえ独立しなくても自分たちのルールさえ守っていればある程度はその社会で生きてくことは可能だった状態。
ただ今日の社会で必ずしもそういったルールを守る、つまりムラ社会的である必要性があるかというとそうでもない。
ルールが合わないと思ったら別のコミュニティを探しても良いのだ
教育の幻想
「どんなことでも話せばわかる」と教師を始め大人たちは子供に対してそう思ってしまいがちだ。
ただそれは間違いで有ることを認めなくてはいけない。
それは、どのような理由があれ自分の意思を相手に強要するようなものである。
だから必ずしもわかり合う必要性というのはない、わからないならわからないということをお互いに認識し合うだけども少し前進しているのだ
友達の幻想
著者の主張にもあるように、友達に対して完璧であることを人は期待しがちだ。
例えば、相手が自分の期待通りでないと憤りを感じてしまったりがっかりするかもしれない。ただそれは教育の幻想同様に自分の意思で相手を勝手に変えることに近い
だから、わかり合えそうな他者であっても自分の期待通りでないこともあるということを理解しておくといいことが大事だ
人は1人では生きていけないのか?
答えとしては別に生きていける
インターネットが発展し、買い物など直接外に出てコミュニケーションを取る必要が絶対ではなくなってきているからである
ただ1人で生きていけるから全て良いというわけではない
我々にとって自分のアイデンティティであったり幸福感を与えてくれるのは他者である。
故に、他者との付き合い方を学ぶということは社会での生き方を学ぶということなのである。
結論
全てを受け入れる人間を探すということはとても難しい、例えそれが親であっても
そうであるならば信頼できる他人を探し適切な距離感を取りながら生きていくのはどうだろうか?
個人的には賛成である