本日の感想
呼吸が整っているというのは結構大事だなって思った。
というのも先週も結構残業が多くて座りっぱなしだったり
ろくにご飯を食べない生活をしていたので睡眠不足&呼吸浅い状態でメンタルが若干下がり気味でした。
今週はまだ仕事詰めてもご飯を食べているのでまだ元気
さて、早く寝よう(睡眠時間確保
本日の感想
呼吸が整っているというのは結構大事だなって思った。
というのも先週も結構残業が多くて座りっぱなしだったり
ろくにご飯を食べない生活をしていたので睡眠不足&呼吸浅い状態でメンタルが若干下がり気味でした。
今週はまだ仕事詰めてもご飯を食べているのでまだ元気
さて、早く寝よう(睡眠時間確保
Books&Appsでよく連載を読んでいるしろくま先生(p_shirokuma)のブログをみてちょっとおもしろい記事があったのでちょっと書いてみる。
自分はまだ20代で深いところまでインターネッツな時代は小学生のときに親が寝ている間にこっそりとPCをつけて管理者権限でフィルタリングを外し2ちゃんとかを見ていたギリギリの世代なので共感しました。
まだインターネットがメインストリームな人たちが闊歩する時代ではなく、日陰でこっそりと自分たちの隠れた趣味を話し合っていた時代が懐かしいなーなんて思ったりします。
その頃はまだオンボロのWindowsマシン(5年位の型落ち)でFlashが再生されるのをまだかまだかと楽しみに待っていたのはいい思い出です。
まあ中学生の時にオタクはとても迫害を受けた時代でもあったのでリアルがいい思い出かはわかりませんが
いつの日かiPhoneが現れ、みんなスマートフォン、SNS、ネット使い放題な世界が到来しあっという間にインターネットが公の場所になってからちょっとさみしい気持ちになりました。
もちろん、自分は「お前IT業界なんてブラックだからやめとけ」なんて言われた時代からずっと「絶対にプログラム書いて食って生きてやる」と思って生きてきた結果、なんとプログラマーが職業になって
結果的にはいい環境にはなったなとも思っています。
メモリもCPUもサクサクあってどこでもこの環境を持っていける、仕事とネットサーフィンするにはもってこいになりました。
それでも、牧歌的でのほほんとしたあの景色は今でも忘れられないです。
そんな世界に憧れて参加したくてプログラマーになったのだから
過去はいつだってきれいなものだけが思い出されて行くのでしょうね。
これを書いていることもいつか「こんな時代だったんだ−」なんて思い出される日が来るのかもしれないけど
これが自分が大好きなインターネットにいたんだという証としてこれからもブログを残せたらなと思います。
今日はなんでかはよくわからないけれど足つぼマッサージに誘われたので行ってきました。
まず、感想として「ゴリッゴリに痛い!、内蔵が悪いとかわかるけど痛い!」
といった感じでした。
ほんとに痛いですね、あれ
まあ、あんだけ長時間通勤して、それにずっと座りっぱなしの生活をしていればそうなるわなとは自分でも思うので
老廃物がめちゃくちゃ溜まっていたみたいです。
そう考えるともう凝り固まってどうしようもない肩と右腕なんかどうなるんだろう…やばいのかな…
とにかく体が不調だな、食べ物もそんなに食べたくないみたいな感じであればマッサージもいいかなと思いました。
来年はこの長い通勤をなんとかしようと模索しているのだけれど、なかなかうまくいかない(とりあえず何度も自宅脱出は試みるものの様々な要因に阻まれ出れない)
実際には月の半分も家にまともに帰ってはないけど
春先になったら多少痛みは伴ってもこの状態は何とかすると多少の希望的観測を持ちながら毎日電車に乗ってる。
ふと電車に乗ってる時に音楽を止めて、外を見回してみたらほとんどの人が寝てるかスマホをいじってたなーと思った。
別になんてことないことだったけど、半分働く人が乗るこの電車には楽しく電車を乗るという人が皆無だったんだなと改めて感じた。
ということは皆嫌々仕事をしているのだろうか?
行きたくもない都会の会社に行って、人間が詰め込まれたオフィスに缶詰の状態になりながら毎日を過ごすことに慣れきってしまっているのかもしれない。
Twitterを見ればもう冬場なのでボーナスがない、長時間労働だ、辛いの文字がたくさん並ぶし
友達からも「お前も大変なんだろ?」と言われて少しズキッとした。
別に普通で当たり前のことを言っているはずなのに、なんでだろうと考えた結果
あぁ今自分はやりたいことをやってるんだなと思った。
しかも楽しいし定時に帰りたいと思ったら帰れるし不満がそんなにないんだなということもに気づいた。
プログラマーには昔からなりたかったし、ブラックだとか言われても振り切ってこの仕事に入ってみたら案外そうでもなかった。
単純な違いは、効率化すると安月給だから給料が安い、ダラダラ残業したいという人がいるということだった。
でもどうしてズキっとしたのだろう?
多分今まで仲良しだった友人や周囲の人たちが大人になって共通する価値観の輪の中に入れなくなってきているのだということに少し戸惑いを感じているんだと思う。
とにかくみんなは大人になった自分は忙しくて大変な人間なんだと認めて欲しいのだ。
暇な人間は何もしてないやつで自分とは違う、自分の方がたくさん働いて偉いということを示したいということなのだろう。
ただその先には何も待ってはいないと思った。
どんなに頑張っても競合がいれば永遠にそのチキンレースをするだけですり減りながら勝ち取った椅子に座った瞬間過去の人になってしまう。
少なくとも自分は一回そうやってお金も時間も気力も限界まで使い果たしてとった結果そう思ったことがある。
なんだこの程度なのか、まだ上がいる、もっと頑張る?こんなに限界なのに?
だから僕は一生懸命という四文字熟語も人に期待するということも辞めた
例え親であってもそうなんだと思う。
残ったのはやりたいことをやるために必要か?そうでないか?
それは今すぐにやり切れるか?
という判断基準だけになった。
価値観とかではない、ただアルゴリズムのようにそうしてるだけ
それがいいかなんてわからないけど、少なくとも学校という枠の中で生きていた頃よりも自分らしく行きてるし結果もついてきてると思う。
好きなことをしてる、それに仕事の約束さえ守ればあとは自由だ
だから、音楽を止めて少し周りを見渡したって怖くない
周りが大変そうにしても自分は大丈夫
やりたいことをやっていいのだ、ただそれだけなんだから
自分が開発の現場にいてふと思ったことですが、プログラムを書く、絵を書く、音楽を書く(作るかな)ってどれもデザインが必要でそこが一番大事な部分なんだなーって漠然と思いました。
なんでこんな突然とかありますけど
最近デザイン思考とかデザインに関する本を読んでいるのですが、最終的にはここにたどり着くなと
ある意味問題やテーマを表現したものが一般的にデザインと言われているもので
本質的にはどれもどんな設計をするか?という部分になっていくのだなぁって
なのでデザインってイコール設計ができるってことなのかなと思いました。
またそれってあってるのかまだよくわかってませんが
ちょっとそう思っただけ